
24歳という若さでこの世を去り、今なお「永遠の反抗児」として語り継がれるジェームス・ディーン。彼が最期に選んだ相棒が、ポルシェ550スパイダーでした。なぜ彼は、当時まだ新興メーカーだったポルシェの、しかも過激なレーシングカーを選んだのでしょうか?そして、「リトル・バスタード(小さなろくでなし)」と呼ばれた愛車にまつわる「呪い」の噂は真実なのでしょうか。
この記事では、ジェームス・ディーンが愛したポルシェ550スパイダーの驚異的なスペックから、運命の事故の真相、そして現代まで語り継がれる数奇な伝説について徹底解説します。伝説の裏側を知ることで、彼の生き様とポルシェという車の魅力がより深く理解できるはずです。
この記事のポイント
- ジェームス・ディーンの愛車「ポルシェ550スパイダー」の驚異的スペック
- 「リトル・バスタード」という愛称の由来と独自のカスタマイズ
- 1955年9月30日、運命の交差点で起きた事故の真相
- 消えた車体と関係者を襲った「呪い」の都市伝説
- 現代における550スパイダーの価値とレプリカ事情
ジェームス・ディーンが愛した「ポルシェ550スパイダー」とは
映画スターとしての成功の傍ら、本格的なレース活動にのめり込んでいたジェームス・ディーン。彼がそれまで乗っていた「356スピードスター」から乗り換えたのが、より純粋なレーシングカーである「550スパイダー」でした。ここでは、その特別なスペックと彼なりのこだわりについて解説します。
当時最強のレーシングカーとしてのスペック
- 乾燥重量わずか550kgの超軽量ボディ
- 「フールマン・エンジン」と呼ばれた高性能4カムシャフト
- 打倒大排気量車を目指した「ジャイアントキラー」
ポルシェ550スパイダーは、市販車ベースではなく、レースに勝つためにゼロから設計された純粋なレーシングカーです。最大の特徴はその軽さ。わずか550kg(諸説あり)という車体に、110馬力を発生する1.5リッター水平対向4気筒エンジン(タイプ547)をミッドシップに搭載していました。
当時のアメリカでは大排気量のV8エンジンが主流でしたが、小排気量ながら軽量で俊敏な550スパイダーは、それらをカモにする「ジャイアントキラー」として恐れられました。ディーンはこの「小さな車が大きな車を負かす」というコンセプトに、自身の生き様を重ね合わせていたのかもしれません。
| 比較項目 | ポルシェ 550スパイダー | ポルシェ 356スピードスター |
| エンジン配置 | ミッドシップ | リアエンジン (RR) |
| 排気量 | 1,498cc | 1,488cc (1500 Super) |
| 最高出力 | 110 ps / 6,200 rpm | 70 ps / 5,000 rpm |
| 乾燥重量 | 約550 kg | 約760 kg |
| 最高速度 | 約220 km/h | 約175 km/h |
| 性格 | 純レーシングカー | スポーティな市販車 |
愛称「リトル・バスタード」と独自のカスタマイズ
- ボンネットに描かれたゼッケン「130」
- リアフードの赤いストライプと愛称のペイント
- 映画撮影禁止期間中に抑えきれなかった情熱
ディーンは手に入れたばかりの550スパイダーに、彼らしいカスタマイズを施しました。有名なのはボンネットとドアに描かれたゼッケン「130」と、リアフェンダーの赤いストライプです。そして何より象徴的なのが、リアカウルにペイントされた「Little Bastard(リトル・バスタード)」の文字。「小さなろくでなし」「手のかかるちび」といった意味ですが、これは彼の友人であり、スタント・コーディネーターのビル・ヒックマンが付けたあだ名だったと言われています。
また、内装にはタータンチェックのシートを採用するなど、彼の美学が詰め込まれていました。映画『ジャイアンツ』の撮影中は契約でレースを禁じられていましたが、撮影終了とともに彼はこの新しい相棒でレース場へと向かったのです。
1955年9月30日・悲劇の事故の真相
納車からわずか9日後。カリフォルニアの青空の下、悲劇は突然訪れました。若きスターの命を奪った事故は、単なるスピードの出し過ぎだったのでしょうか?当時の状況を詳細に振り返ります。
運命の交差点で何が起きたのか
- サリナスでのレースに向かう途中の悲劇
- カリフォルニア州道46号線と41号線の交差点
- 対向車の左折による回避不能な衝突
1955年9月30日午後5時45分頃。ディーンは整備士のロルフ・ヴュテリッヒを助手席に乗せ、翌日のレースに出場するためサリナスへ向かっていました。場所はカリフォルニア州道46号線と41号線が交わるY字路(現在は「ジェームス・ディーン・メモリアル・ジャンクション」と呼ばれています)。
彼らの対向車線を走っていたフォード・チューダーが、左折して41号線に入ろうと彼らの進路を塞ぐ形で曲がってきました。低く小さなシルバーのポルシェは、夕日とアスファルトの照り返し(蜃気楼)に溶け込み、フォードのドライバーからは見えにくかったと言われています。ディーンはブレーキをかけ回避を試みましたが間に合わず、激しく衝突。助手席のロルフは車外に放り出されて重傷を負いながらも助かりましたが、ディーンは搬送先の病院で死亡が確認されました。
アレック・ギネスの不吉な予言
- 事故の1週間前の偶然の出会い
- 新車自慢をするディーンへの警告
- 「1週間後に死ぬことになる」という言葉
事故の後、まことしやかに語られるようになったのが、『スター・ウォーズ』のオビ=ワン役でも知られる名優アレック・ギネスによる予言です。事故の約1週間前、ロサンゼルスのレストランでディーンと偶然会ったギネスは、納車されたばかりの550スパイダーを見せられました。
その車を見たギネスは、奇妙な予感に襲われ、こう告げたといいます。「今すぐこの車に乗るのをやめなさい。もし乗れば、君は来週の今頃には死んでいるだろう」。
その予言通り、ちょうど1週間後の金曜日にディーンはこの世を去りました。このエピソードが、後の「呪い」伝説の始まりとも言われています。
消えた愛車と「呪い」の伝説を追う
事故によって大破した「リトル・バスタード」。しかし、物語はそこで終わりませんでした。残された車体や部品が、その後に関わった人々に対し次々と不幸をもたらしたという都市伝説が存在します。
事故後の廃車が辿った数奇な運命
- カスタムカーの巨匠ジョージ・バリスが購入
- 展示ツアー中の謎の出火や落下事故
- 輸送中のトラックから忽然と消えた車体
事故車を買い取ったのは、バットモービルの製作などで知られるカスタムカー界の巨匠、ジョージ・バリスでした。彼は交通安全啓発の展示用にこの車を利用しようとしましたが、不可解な出来事が続発します。保管中のガレージから出火したり、展示会場で車が落下して見学者の足を骨折させたりしたと伝えられています。
そして最も不可解なのが、1960年、展示ツアーを終えてロサンゼルスに戻る輸送中に、トレーラーの中から車体が忽然と消えてしまったことです。封印されたコンテナの中にあったはずの「リトル・バスタード」は、現在に至るまで発見されていません。
部品を移植された車たち
- エンジンとトランスミッションを移植した2人の医師
- 同じレースでの同時事故と死者
- タイヤを装着した車もバースト事故
車体が消える前、使える部品は取り外され、他のレーサーに売却されていました。エンジンを譲り受けたトロイ・マクヘンリー医師と、トランスミッションを譲り受けたウィリアム・エシュリッド医師。二人は奇しくも同じレースに出場しましたが、マクヘンリー医師は木に激突して死亡、エシュリッド医師もコーナーを曲がりきれず重傷を負いました。
さらに、550スパイダーから無傷で回収されたタイヤを装着した車も、走行中にタイヤがバーストして事故を起こしたと言われています。これらの連鎖が、ポルシェ550スパイダー=「呪われた車」というイメージを決定づけました。
現代に生きるジェームス・ディーンのポルシェ
悲劇から半世紀以上が経った今でも、550スパイダーの人気は衰えることを知りません。オリジナル車両の価値は高騰し続け、多くのファンがレプリカやモデルカーを通じてその伝説に触れています。
億超えは当たり前?現在の市場価値
- 生産台数はわずか90台ほど
- オークションでは4億円〜6億円級の価格
- ジェームス・ディーン仕様はプライスレス
ポルシェ550スパイダーの総生産台数は約90台(諸説あり)と非常に少なく、現存する車両は極めて希少です。近年の海外オークションでは、状態の良い個体が400万ドル〜500万ドル(約4億〜6億円以上)で取引されることも珍しくありません。
もし仮に、行方不明となっているジェームス・ディーン本人の「リトル・バスタード」が発見されたとしたら、その価値は計り知れず、自動車オークション史上最高額を記録する可能性すらあります。
レプリカとモデルカーで伝説を所有する
- ベック(BECK)社製などの精巧なレプリカ
- 1/18、1/43スケールの精密モデルカー
- 「リトル・バスタード」仕様の再現モデルも人気
実車を手に入れることは夢のまた夢ですが、世界中のファンに向けて精巧なレプリカ(復刻生産車)が作られています。特に有名なのが「ベック550スパイダー」で、外観はオリジナルに忠実ながら、現代的なエンジンや足回りで扱いやすく改良されており、日本でも愛好家が存在します。
また、もっと手軽に伝説を感じたい場合は、モデルカーがおすすめです。各メーカーから「ジェームス・ディーン仕様(ゼッケン130、赤ストライプ)」のミニカーが販売されており、デスクの上に伝説の車を飾ることができます。
まとめ
- ジェームス・ディーンのポルシェ550スパイダーは、当時の技術を結集した「ジャイアントキラー」だった
- 彼は自身の反骨精神を、小さくても速いこの車(リトル・バスタード)に重ねていた
- 1955年の事故は、不運な状況が重なった悲劇であり、予言や呪いの伝説を生んだ
- オリジナル車両は行方不明のままだが、その価値と伝説は現代でも輝き続けている
ジェームス・ディーンが駆け抜けた時間は短かったですが、彼とポルシェ550スパイダーの物語は永遠です。もし機会があれば、博物館やイベントでレプリカを目にしたり、映画を見返したりして、彼が生きた時代の熱狂を感じてみてはいかがでしょうか。